すみだ

雑記

編入を決めた理由を振り返ってみた

なぜ私は編入学試験という名のイバラの道を進んだのか。改めて考え直してみた。

1浪で私立大に進むも、第1志望であった同志社大に落ちた私は諦めきれず2浪を決めたが、親が入学金を振り込んだ為やむを得なく進学。

大学生活はそこそこ楽しかったが、学歴コンプレックス以外の同志社コンプレックスを抱える自分に気づき、大学2年次に同志社大社会学部の編入学試験を受験するも不合格。ここから、最後のチャンスとして休学をして編入学試験に望んだ。

第1志望は同志社大。第2志望は金沢大。第3志望は特になく、何処かに受かれば御の字と考えていた。結果は想像より厳しく、さらに今年度は同志社大が試験自体を取り止めてしまった。

ここでなぜ、自分はそうまでして同志社に進みたかったのか考え直してみる。

私は現役時代は受験をしていない。理由は色々あるが簡潔に述べると馬鹿だった。高校の偏差値は40。クラスの中では40/40を常に取っていた。そのくらい勉強はしていなかった。そもそも必要だと考えていなかった。

理由は省略するが、高校3年の12月、進もうと決めていた道に進むことが出来なくなり、やむを得なく浪人を決意した。私と今も繋がりがある友人が浪人したいという話をしていて「浪人」という言葉を知っていたが、その話を聞くまで浪人という単語自体聞いた事がないレベルにいた。

今でも覚えている河合塾のクラス分けテスト。自分の偏差値は英語23・古文26・現代文40・日本史35。英語と古文に関しては1問も意味が分からずに全部適当にマークしてこれである。 チューターの先生には面談で、今まででこんなに低いのは初めて見たよ笑と言われた。

そんな自分でも努力に努力を重ね、模試では3教科の偏差値60を越える事も2度あり、関関同立MARCHを目指せるレベルに立っていたが、結果は惨敗。何とか、日東駒専に進めたのであった。

では、同志社固執した理由を思い返してみると大きく3つに分類できた。

1つ目は、単純に京都という街に憧れを抱いていた。 私の中高生時代は立派なアニメオタクであり、その中でも森見登美彦さんの作品にハマった。1番好きなのは「四畳半神話大系」、次に「有頂天家族」と続く。 このアニメを見た人は分かるかもしれないが、漠然と京都という街に憧れを持ってしまったのだ。 四畳半の舞台である京都大への進学は何年机に向かい続けても無理だ。じゃあ他は?と考えた時、同志社立命館があったのである。

2つ目は、神社仏閣が好きなのだ。 理由は特にないが、私は神社や寺巡りが好きでそこから京都に憧れた。 中学時代の修学旅行で三十三間堂に訪れた時、そのあまりの迫力に感動し、そこから歴史ある建造物や神社寺の魅力に取り憑かれてしまったのだ。だから京都への進学を希望した。

最後に、同志社のキャンパスに心を打たれたのである。 先にも述べたが、私は高校生時代は大学受験をしていない。その為、オープンキャンパスにも参加した事がなく、行ったことがある大学と言えば地元の国立大学の学祭に参加したくらいだ。 浪人中の夏に親のススメで同志社大オープンキャンパスに1人で参加した時、言葉で言い表せない感動に包まれ、自分はここに進むと決めたのだ。

しかしながら、結果は不合格。諦めきれず安易に編入学試験の道に進んだ結果が今なのである。

同志社大に進む事は出来なかったが、金沢大という立派な大学に合格できたのは喜ぶべき事で、実際にとても嬉しかった。 そもそも生きてきて、中学受験は失敗し、高校受験は安牌を取り、大学受験失敗。 初めて自分自身で納得出来た場所に進学できたことは大変喜ばしいことである。

今年度の休学からの編入学試験を受験したことで、「目標を諦めない」という当たり前のことの大切さを知った。

自分は将来やりたい仕事がある。22歳でも夢を持っている。その夢を叶える為に、まずは大学で良い成績を残し、社会人を通して30歳までに英国の大学院に進学できるよう、これからも努力を続けていきたい。

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